さて、連休が明けて、5月8日(金)。
M町立I小学校 6年1組 M先生 算数「文字と式」“文字を使った式で場面を表せるのか?”
を探求する教室に出会いました。
この教室の探究は深く、その意味を語ることはわたしの能力を超えているのですが、出会って5年めのこどもたち、ご縁のある子どもたちの姿を可能な限り紹介したいと思います。
この学校の学びづくりをコーディネートしているSV・Kさんに、M先生から授業を観に来てほしいとの依頼があり、私も参観させてもらうことになりました。
今回の授業はM先生にとって、大きなチャレンジだったようです。式を立てて答えを出すだけではなく、式の意味をどうとらえ、言葉にし共有するのか。さらに言えば、算数における「ことば」をどう考えるのか。大きく重要なチャレンジです。
課題は、次のようになります。
【共有の課題】
カレーショップ。ライスの量が選べ(多め・少なめ)、追加メニューが3種類あり、それぞれの値段が示されています。
カレーライス1皿の値段を x 円としたとき、次の① ② ③はどんな注文の代金を表しているか考えましょう。
① (x − 50) + 60
② x × 3
③ x × 2 + 120 × 2
【ジャンプの課題】
ある5人家族のそれぞれの年齢について、父〜母、母〜姉、兄〜弟、姉〜弟の年齢の関係が説明されます。
(例えば、父は母より2歳年上、等々)
5人の年齢の合計も示されます。
その上で、弟の年齢が何歳か、xを使って立式して求めましょう。
このクラスには、さまざまな子がいます。特別支援のクラスと両方で学ぶ子もいますし、個性的な子もいます。
2年生のとき、体育でほとんどルールがわからず体育館を縦横無尽に走り回っていた睦月さん。(以下、仮名です) 担任の先生もクラスもそんな睦月さんを受け入れる中、彼女は周りの子をよく見ていて、他の子とつながる中で一緒に守備や攻撃をし、しかもいつのまにか上手にするようになるという「ジャンプ」をいくつもしていました。3,4年になってからはグループに支えられ、学び上手な子に育ちました。各学年の担任の先生方とグループが彼女を支えました。
なかなかテキストにふれられない子も、感じていることを伝えるのが苦手な子もいました。
国語の授業をどう実践したらいいのか、迷いや疑問を持っている先生方が多くいらっしゃる中、石井順治先生の音読と「読み描き」のお考えと実践にもとづき、SV・Kさんがこのクラスで「たずねびと」の授業をしました。単元全部10時間以上にわたり、深く読み合い、聴き描き合いました。
音読をする中で、テキストに出会って行く子どもたち。
文字を追うのが苦手な如月くんは、指で追いながら読み込みました。
訥々とした読みの中に深いリアリティを感じさせる弥生さん。
その声を他の子たちがていねいに聴きます。
グループで聴き合うことにとまどっていた子どもたちも、やがて大切に聴き合い、読み描き合い、物語に迫って行きました。
一人ひとりの子どもたちがそれぞれ太くなりつつ、またそのつながりも太く確かになっていく、その姿に圧倒された「たずねびと」でした。
もともといいクラスを育てていたM先生ですが、これをきっかけに一際、学びづくりとクラスづくりを進め、この4月、子どもたちも6年生になりました。学び合いから誰も離れることなく、全員で探求し合うクラスとして、今ここに、みんながいます。
そのM先生のチャレンジが、算数の「ことば」なのです。
すぐ問題を配り、即、はじまりです。ワクワクとグループが動き出します。先生は、少し離れて見ていたり、グループの空いている席に座って見守ったり、口も手も出しません。結局、計算の仕方も考え方も一言も教えることはありませんでした。
折を見て「わからないことある人いますか?」「困ってること話してくれる?」と問いかけ「○○さんに話してもらうね!」しか言わない先生。
◯◯さんが話すと、やはりとまどっていた子が私もそう、と動き始めます。
ほどなくして、共有課題の終わり頃、M先生。「今みんな“カレー引くご飯少なめ”とか呪文のような言い方をしているけれど、ココイチってわかる? 実際のカレー屋さんで店員さんに、ライス少し大盛りとか、何と何をトッピングしてとか、伝えるように話し合ってみて!!」
子どもたちの声と言葉が変わります。たんにお店屋さんの雰囲気になるのではありません。式の意味していることを明確に伝える「ことば」に変わるように見えます。その式とことばをノートに書きます。
具体あるいは経験の言葉と算数の言葉がつながっていくように見えます。ただつながるだけでなく、自分のうちに新たにその事象の「意味」を現す言葉を構築していく作業のようです。あくことなく語り、言葉を紡ぎ合う子どもたち。出来事と式の意味を、ことばとして紡ぎ合う子どもたちの姿があります。
ジャンプ課題です。x を用いて式を作ることはわかった(はずの)子どもたち。x を設定することでそれぞれの年齢がわかるように計算を進めようとします。・・・しかし。。。
家族の年齢関係それぞれの条件を言葉で表現し、「言葉を用いた式」にもできます。が、誰をxにしたらよいか、迷い考え続けています。どうやったら全部の関係を式に表現できて、弟の年齢をうまく求められるのか・・・??
yまで持ち出して、どれがxなのかyなのか、、、家族の年齢の関係を式にしようとする卯月くん。けれど、どの子も、xとの関係は式にできても、その先の関係を表せないようです。例えば問題に弟との関係が書いてあると式にできるのですが、弟との関係で直接書かれていない関係は式に表せないようです。
中学校数学的に考えれば、それぞれに代入して計算すれば答えはすぐ出るのですが、どうやらここで重要なのは答えの出し方ではなく、関係の表現の仕方のようです。できそうでできない。だからワクワクするけれども、どうにも表現が見つけられない。そんな感じの時間が過ぎます。
「書けないけどしゃべれる」と言う皐月くん。姉を求めるときに弟を使っているから弟がもとになっている!・・・けれどそれ以上の式(言葉)としては語れません。
すでに時間は過ぎていて、先生「弟を使ったらこの人の年齢はどう表せる?」と言って代入的な考え方を示唆しつつ「はい、終わります!!」
エェもっとやりたいと言う子どもたちに 、先生あっさり「家でやってきて」!!
でも、子どもたちは止まりません。
席替え初日のためかグループでうまく話せなかった水無月さんは、なかよしの文月さんのところに行って自分の考えを伝え、うなづいて自分の席にもどってノートに書き込みます。
男の子数人が黒板のところに来て先生と話し続けます。この超難題のワクワクは止まることがないようです。
中学校の数学で言うならば一次方程式を代入法を利用しながら考える内容、と言えるでしょうか。もちろん中学生は立式も解もすぐみつけるでしょう。しかし、その意味を自分の言葉で紡ぎ、共有する学びをどれだけの中学生がしているでしょうか。45分の授業の中で、一つも「教える」ことのなかったM教諭。その分、子どもたちは意味ある自分の「ことば」を紡ぎ合いました。
今、学びについて、こんなことを耳にし、目にします。
「具体と抽象をつなげる学びは・・」
「AI時代の今、『記号接地』を考えなければ・・」
「各教科にはそれぞれの文法がある・・」
この教室の子どもたちの姿を語るには、これらのことがらとつなげて議論しなければならないことでしょう。が、今、この紙面ではわたしの能力を超えます。
しかし、数学の知の個別の一つ(解法)を学習し活用して答えを出すのではなく、そこにある事象の意味を自分の言葉で表現し、グループで共同生成しながら、自らの「ことば」にしていく姿。「数学」の「ことば」を自らのうちに他者とのつながりのなかで共同生成していく姿。
それはまさしく「式」に意味を付与することであり、自らのうちに数学的な概念を構築する (Learning1ではなく) Learning2の真正の学びであり、古屋和久さんが言う「学ぶということは聴き合う中で自分のうちにことばをつくること」そのものでしょう。
そしてそのことは、21cの今、学びにおける最も重要なチャレンジの一つと言えます。子どもたちと、そしてその探求と対話をデザインし、学びの核心として追求しようとするM先生に深く敬意を表したいと思います。
このように考えてくると「奇跡」のような授業であり、子どもたちの育ちであり、探究のようにも思えます。しかしまた、この子どもたちの姿は、これまでの担任の先生方・学校教職員の方々、保護者を含めた大人たち、そして何よりM先生と子どもたち自身が生み出した姿です。奇跡に見えるものは一方で人間の営為の集積であり、それぞれの人間がすることが“仕合わされた”仕合わせなのだろうとも思うのです。
連休をはさんで出会い、学び、考えたことです。3人の先生方、生徒さんたち、子どもたち、ありがとうございます。
いつか、可能ならばなんらかの方法で、ここで紹介する教室のビデオ記録を共有できることを願っています。「チームふくしま」の中で、方法と形を考えたいと思います。