【足下草 1】 名もない草はない!! “Forget-me-not”
この「学びつれづれ」では、比較的自由に、学びに関連して思うこと、考えることを書いてみます。足場というより、足下の草花のようにみなさまに見ていただき、楽しんでいただけたらと思い、「足下草」としてみました。
“つれづれ” というと、すぐ続いて「草」ということばが思い浮かびます。
古事記の時代は、天照大神(アマテラスオオミカミ)や素戔嗚尊(スサノオノミコト)といった名を持つ神々に対して、人間のことを「草」と言い表していたようです。名もなく、またどんどん生い茂る「草」のような民(民草)という感覚だったのかもしれません。
しかし今は「名もなき草」はない!! そうではないと言われます。すべての「草」には名前があり、話している人が知らないだけです。しかし草花の名前が苦手な私はついつい言ってしまって、名のある草花に対して失礼だなと反省します。
そんな私でも、好きな名前、すてきだなぁと思う名前はあります。いくつかありますが、ここでは「Forget-me-not(私を忘れないで)」を挙げましょう。勿忘草(わすれなぐさ)です。英語で “Forget-me-not”
花は青い色が多いようですが、ピンクや白もある可憐な花です。花言葉は「真実の愛」「真実の友情」。由来も読むとロマンチックな気持ちになりますが、ここは「学び」のコラム!! 佐藤学さんの文章を引用したいと思います。「(新版)学校を改革するー学びの共同体の構想と実践」岩波ブックレット、のpp.21-22。「学びの共同体の哲学」の中の『民主主義の哲学』が書いてある箇所です。
“ある中学校(生徒数350人)で、一年間に職員室で一度でも話題になる生徒は何人かを調べたことがある。職員室で固有名で語られた生徒の数は約一割に過ぎなかった。問題を起こす生徒、学力の低い生徒、極端に学力が高い生徒、それに部活で活躍する生徒である。この学校は民主主義が尊重されている学校と言えるだろうか。否である。一人残らず生徒が固有名で話題になる学校でなければ、民主主義の学校とは言えない。”
(続いて教師集団のことが書かれていますが、そこはいずれまた。)
固有名で語られる子は1割!! 9割は名前では語られない!!
名もなき(なんとか)ということになるのでしょうか。
固有名では語られないということですから、忘れられているわけではないのでしょう。
でも、子ども(生徒)が帰った後の教室に座って、今日一日の一人ひとりを思い出してみましょう。(斎藤喜博ではありませんが)
概ね思い出せるでしょうが、中にはあまりはっきり思い出せない子もいるかもしれません。大人数のクラスだと中くらいに位置する子どもたちはなんとなくかたまりで「問題ない・大丈夫」とか思いながら、あまり見ていない子もいるかもしれません。ひょっとすると、今日のことは全く思い出せない子・・・がいるかもしれません。
具体的なことが大切です。
その子の仕草、表情、声、ことば、リズム、ペアやグループの中での姿勢・向き方・距離感、あるいはちょっとした出来事等々。それらを、どれだけ見、聴き、感じ、覚えているでしょう。
思い出すことが大切です。もし思い出せるなら、その子の今日と昨日、今週と先週、今月と先月、今年と昨年、何年か前・・・。
ひょっとして教師がはっきり覚えていない子の「からだ」の中には、本人も意識したり言葉にしていなくても、「“Forget-me-not”(私を忘れないで)」という声が隠れているかもしれません。いえ、どの子の中にも「Forget-me-not」があるのかもしれません。
その声に耳をすます教師には聴こえるけれど、そうしない教師には聴こえない「声」。存在と言ってもいいかもしれません。それを聴こうとすること、思い出そうとすることから「かかわり」がはじまるのでしょう。
そして、そのように耳をすまそうとする教師たちがこどもたちに向けるまなざしの中にはきっと
“Never-Forget-You”
あなたのことを忘れていないよ!!
あなたはひとりではないよ!!
いつも、ともにいるよ!!
という教師の「声」が秘められていることでしょう。そして子どもたちは、秘められているかいないかを一瞬で感じとるのかもしれません。
教室という場所は、聴き合い、学び合う場所です。
そこは 「まなざし」と「まなざし」、「声」と「声」が交錯し、出会ったり、出会えなかったりする場所にも私には見えます。
さて、本HPの“ニュース&イベント”コーナーに授業公開の案内があり、SVが国語の授業を公開する予定が掲載されています。授業をするのはこの「SNふくしま」を運営しているSVの一人です。
今、国語の授業にむずかしさを感じる先生方が多いと思います。これまでの国語の授業のやり方では、もう授業として成り立たない状況になっています。石井順治先生が教えてくださる「読み描く」ことをどう授業で進めていくか、、、そのような国語の授業のあり方について学ぶ機会になります。
そしてまた授業をするSVは、子どもの「からだ」の中に秘んでいる「“Forget-me-not”(私を忘れないで)」を一瞬で観てとる人です。そして彼自身が、その子と瞬く間に「ともだち」になります。安易な意味の友達ではありません。同じ世界を生きるというか、あるいは同じ場に立つというか・・・。 そしてグループの学び合いが進むうちに、その子はグループの仲間になりクラスの一員になり、子どもたち同士で「ともだち」になっていきます。支援を必要とする子どもたちも含めて、学び合うクラスのはじまりがここにあるように思います。
そんなことも含めて多くの方々に参観していただくことができたらと願っています。